読書感想ブログ

読んだ本の紹介ブログです

No.18「帰ってきたヒトラー 上」

今回の一冊はティムール・ヴェルメシュによる「帰ってきたヒトラー」を紹介したいと思います。翻訳は森内薫さんによるものです。

 

本ストーリーは現代のドイツに何故か蘇ったヒトラーがモノマネ芸人として世に再び登場する、というものです。正直、現代のドイツとヒトラーの人生を理解できなければ、作品を楽しむことができないなと感じました。しかしながら現代とのギャップに率直な反応を示す「我が総統」は一種の面白さがあります。

 

例えばペットの糞を回収する人を頭のネジのとんだ人と表現したり、クリーニング屋の安っぽい宣伝文句を賞賛したりと、何処か現代人の感覚とズレたリアクションはとてもユーモアに溢れていました。

 

ストーリーがメインというよりは総統の演説のような思考に読みどころがあるので、これを機にドイツを学び直そうと思います。下巻では、メディアに出た総統の恐ろしさが徐々に現れてくるのではないでしょうか?

 

 

 

No17「赤毛のアン」

今日の一冊はルーシー・モード・モンゴメリによる不朽の名作「赤毛のアン」です。カナダのグリーンゲイブルズを舞台に、1人の少女の人生を描いた物語です。

 

作者のモンゴメリ赤毛のアンを書き上げた当初、出版社に持ち込みをしていたそうですが全て断られたため、この物語は屋根裏のトランクケースに3年も眠っていたそうです。ある日ふとこれを読み返したところ、忽ち没頭してしまいもう一度出版社に提出したら、あれよあれよと言う間に大ヒットになったそうです。赤毛のアンはこの一冊だけでなく、その後何冊も続編が出ています。

 

ある日、マニラとマシュウという中年兄妹は農作業を手伝わせるために、男の子の孤児を引き取ろうと考えていました。ところが駅に迎えに行くと、待っていたのは赤毛の少女でした。マシュウはやむ無しに彼女を迎えますが、話しているうちに(というよりアンが一方的に話しているうちに)彼女の事を気に入ってしまいます。勿論アンを見たマニラは彼女を送り返そうとしますが、アンの身の上を考えるうちに彼女を家に迎え入れることを決心します。

 

アンを迎え入れた兄妹の決断は大成功でした。アンは想像力豊かなお喋りの女の子で、しかも器量を良いときているので、村のみんなもアンを愛するようになります。

 

その一方でアンは愛も憎悪も激しく表面に出します。親友の女の子ダイアナには一生の愛を誓いますが、人参頭と馬鹿にしてきた男の子ギルバートに対しては徹底的に無視をし続けます。

 

そんなアンの人生はクイーン学院に合格したことにより転機を迎えます。アンは3年もいたグリーンゲイブルズを離れることになりますが、マシュウの死をキッカケにグリーンゲイブルズで教師になることを決意します。実はギルバートも成績優秀だったのでクイーン学院に入学していたのですが、都合によりグリーンゲイブルズに戻っていました。彼らは長年勉強のライバルとしてお互いに意地を張っていましたが、ようやく仲直りをしたのでした。

 

赤毛のアンを読み始めたとき、どうもアンの大げさな言い回しが気に入りませんでしたが、当時の流行りものと考えて読んでみると、時代の流れを感じます。現代的な口語を使えばもっと読みやすくはなるのでしょうけど、この一見くどいとも言えるような言葉の流れが、赤毛のアンという世界観を作っているのかもしれません。気が向いたら続編も読んでみようと思います。

 

 

 

 

 

 

No.16「下町ロケット」

今回の一冊は人気作家、池井戸潤先生による一冊、「下町ロケット」です。

 

池井戸先生といえば「鉄の骨」や半沢直樹シリーズの原作である「オレたち花のバブル組」などが有名ですね。数々の賞を受賞されている先生ですが当人曰く、受賞を目的に書いているわけではないそうです。完成させた結果それらが評価されているだけなので、まさに楽しんで小説を書く生粋の文豪と言っても良いでしょう。

 

本作は佃製作所という中小メーカーが大企業の圧力に抵抗しながらも、自社の技術力を信じてロケット開発に挑むというストーリーです。池井戸先生ならではの手に汗握る展開のお陰で、あっという間に読んでしまいました笑

 

ストーリーは佃社長が以前研究者として携わっていた、ロケット打ち上げのシーンから始まります。ロケットの打ち上げは結果的に失敗に終わり、その責任は佃社長に擦り付けられました。居づらくなったその職場から逃れるように、佃は父親の家業を継ぎ、早くも7年が経過します。

 

ここから佃製作所は苦境の連続に立たされます。まず開口一番に大口契約の大手企業が一方的に取引を打ち切る、それを知った銀行が救済の融資を渋る、更に法廷を生業とするかのような大手企業が特許侵害で訴えて来る、といった具合です。

 

更にはロケット打ち上げを全般的に手掛ける大手企業も佃製作所に関わってきます。ロケット開発の際にどうしても必要な技術を、実はタッチの差で佃製作所が開発しており、プロジェクトを断念しないためにも佃製作所の特許をなんとかして手に入れたい、といった具合です。

 

大企業と中小企業の双方が特許を巡って凄惨な争いを繰り広げます。佃社長は手塩にかけて育てた会社を守ることができるのか!?といったところが大まかなあらすじでしょう。但し、大企業にも正義があり、中小企業にも時として悪はある、といった描写も描かれているため、一概に勧善懲悪ものというわけでもありません。それぞれの人間が様々な思いを交差させるという点にこの小説の面白さがあると感じました。

 

 

 

 

 

No.15「伊達政宗 大阪攻めの巻」

伊達政宗」第六巻です。ついに始まってしまった大坂の陣政宗は世界を股にかけた壮大な作戦を決行するのですが、果たしてうまくいくのでしょうか?

 

政宗は忠輝ではなく家臣の支倉常長とソテロを乗せて出港させます。彼らの任務はスペインの大艦隊を日本に連れて行くことです。大坂の陣が長引くとみた政宗は、両者が疲弊したところで伊達家率いる大艦隊が仲介に入ることによって、新政権を立ち上げられると考えました。忠輝を新将軍に据えることによって日本を掌握し、また日本の顔として世界に伊達政宗を売り込もうという算段です。

 

一方家康は亡き秀吉に報いようと、できるだけ豊臣家との武力衝突を避けようと紛争します。ところが豊臣家家臣の片桐且元によってその努力は水泡に帰しました。且元は徳川と事を構える気がないことをアピールするため、大判の鋳造を行います。黄金の鐘を通貨にすることによって豊臣家の財力を減らそうとしたためですが、世間はこれを戦の為の軍資金調達だと捉え、豊臣、徳川双方の軋轢が逆に増してしまいます。政宗の目論見通り、大坂の陣は切って落とされたのでした。

 

政宗の胸算用では着々と計画が進行していきます。大坂の陣が起こること、2回に分けて戦いが起こること、全て政宗の計算通りでした。しかし、やはり家康は政宗の上をいきます。

 

家康は政宗の大艦隊計画を見破っていました。それどころかスペインの大艦隊などとうに存在しないことを政宗に告げます。実はこの頃スペインは海戦で敗北し、その国力はすでに衰退の一途を辿っていました。日本に滞在していた南蛮人よりも先んじて情報を掴んでいた家康は、貿易国を紅毛側へとシフトします。家康は政宗よりも洞察力、情報収集において全て上をいっていました。

 

流石の政宗もこのときばかりは家康との格差に絶望を感じます。普段決して人前で寝ない政宗ですが、その禁忌を破るほど意気消沈していました。そんな絶望の淵の政宗に鼻息の荒い忠輝が訪れます。政宗に頭ごなしに押さえつけられることが我慢ならない忠輝は、病床見舞いと称して政宗に釘を差して去るのでした。

 

No.14「伊達政宗 蒼穹の鷹の巻」

さて、ソクラテスの弁明から一転して伊達政宗シリーズの続きです。

 

今回の「伊達政宗」第5巻では、徳川家に仕える一武将、伊達政宗としての人生が描かれています。海外進出を夢見て政宗は南蛮船の建造を進めるのですが、これが大きな波乱を呼ぶことになるのです。

 

本編を書く前にまずは本書を理解するのに必要な当時の情勢を軽く語っておきます。当時の日本は南蛮人を中心とした布教が中心だったので、日本のキリスト教はプロテスタンが主だったと考えて良いでしょう。ところが徳川政権下では三浦按針こと紅毛人のウィリアム・アダムズが政府顧問を務めていたので、カトリックが徐々に派遣を握っていきました。関ヶ原の戦いから大坂の陣までは、この2つの宗派が日本で暗躍していたということです。

 

政宗は日本の覇権を握るのは諦めたものの、その野心は決して潰えたわけではありませんでした。政宗大久保長安どの出会いを機に、その情熱へと海外へと向かっていきます。まずはその第一歩として船の建造を始め、婿の徳川忠輝を中心とした日本の使節団を派遣しようとします。

 

ですがこの忠輝、若さ故に有り余る活力を持っているため、長安使節団の派遣を急き立てました。あまりに詰めが激しすぎたせいか、長安は気が触れてしまい、とうとう死んでしまいます。

 

長安の死により、政宗は当初の予定を大幅に変更しなければなりませんでした。更に家康は長安政宗が密かに企んでいたことも全てお見通しで、政宗が余計なことをしないよう釘を差します。

 

今家康にとって一番まずいことは、南蛮人プロテスタント)が主導権を取り戻すために豊臣方を担ぎ上げることです。豊臣が立ったところで負ける可能性はあまりないでしょうが、折角築き上げた平和が乱れるということ、何より、秀吉の恩に報いようと考えている家康にとって豊臣を潰すのは人情的に避けたいことでした。

 

結局、政宗はソテロを筆頭に南蛮人を裏から擁護し、家康は紅毛人を擁護することでなんとか国内の乱れを抑えようというところで落ち着きました。しかし、一段落した政宗のもとに大久保忠隣がやってきます。彼は徳川政権下の一大派閥として政権を握っていたのですが、擁立していた結城秀康が病死したため、大久保に変わって本多正信と正純の親子が政務を握るようになっていました。

 

忠隣が訪れたことによって政宗は泥沼の政権争いに足を踏み入れるのでした。

 

 

 

 

 

No.13「ソクラテスの弁明」

今回は「伊達政宗」シリーズを一旦お休みして、岸見一郎先生の「ソクラテスの弁明」を紹介したいと思います。

 

岸見先生は大学で講師を勤めている方です。専門の哲学の他に、アドラー心理学を研究しており、著書、「嫌われる勇気」にも岸見先生が執筆に携わっています。

 

さて、本書についてですが、これはソクラテスの弁明を翻訳したものに加え、現代人にも分かりやすいよう解説を交えて説明した、いわば岸見先生による解説書です。翻訳では多少解釈が難しいので解説を足したものだと思われます。

 

ソクラテスの弁明とは、ソクラテスが死刑判決を受けた裁判での、ソクラテスの応答を書いたものです。弟子のプラトンによって書かれたもののため、多少彼の解釈も混じっていると考えられます。ソクラテスは「対話」によって得られる結論を重視していたので、実は彼自身が書いた本はありません。従ってソクラテスを描いた書物は、こういった弟子や友人などに書かれたものしかないのです。

 

さてソクラテスはなんの罪で訴えられたかというと、神を認めず、神に準ずるものに傾倒した罪と自然をあるがままに認めた罪と2つですが、ハッキリいってこれらの罪状はでっち上げです。ソクラテスは嫌われてたから訴えられたのです。

 

何故訴えられたかというと、ソクラテスは過去に自分が一番賢いというお告げを受けたのですが、そんなことはないと考え、各地の知者と呼ばれるような頭のいい人たちに会いに行きます。ところがどいつもこいつも質問攻めをすると答えに息詰まるので、ソクラテスは知者と名乗っている癖にちゃんと答えられない嘘つきばかりだというを知りました。ここで彼は自分は何も知らないということを自覚している分、彼らよりましだから俺が一番の知者なんだというふうに神託を解釈しました。

 

ところがやはり論破される方は面白くありませんから、なんか最な理由をこじつけて裁判にかけたのです。因みにソクラテスは上記の罪に関しても質疑応答を繰り返し、見事に矛盾点を判明させています。

 

裁判中、ソクラテスは決して情に訴えるとか、泣いて同情をひくようなみっともない真似はしませんでした。むしろ、有罪が確定してるにも関わらず、減刑を求めるどころか、最後まで自分は無罪だと言い続けたのです。

 

死刑が決まったあと、ソクラテスはこの裁判に参加することに関して引き止められるような神託は受けていない理由を理解しました。神託はソクラテスにとって良いことをもたらしてくれるものであり、それが裁判の前になかったということは、死でさえもソクラテスにとって良いことだと解釈します。ソクラテスは死を永久の休息、若しくは絶対的な善の世界への入門だと考え、毒杯を呷ったのでした

 

 

 

 

No.12「伊達政宗 黄金日本島の巻」

伊達政宗シリーズ第4巻の「黄金日本島の巻」です。

 

政宗は家康に対して並々ならぬ対抗心を燃やしていましたが、政宗の策略はお見通しと言わんばかりに、家康はその上をいきます。

 

関ヶ原の戦いの折、政宗は天下の混乱に乗じて東北に一気を勃発させ、伊達家の領土拡大を画策します。ですが、政宗の読みに反して天下分け目の戦は僅か半日で決着がつきました。

 

一揆扇動を理由に「百万石のお墨付き」は白紙となり、この戦いで天下は事実上徳川のものとなったのでした。流石の政宗も家康の力量を認め、次第に彼の気持ちは対抗心から尊敬へと変わっていきます。

 

その後、家康の六男、忠輝と政宗の娘、五郎八姫は祝言を挙げ、この件で政宗に松平性が与えられました。

 

日本は徳川を主として泰平目指すのですが、政宗の野心は決して消えたわけではありません。関ヶ原の大戦後、政宗にある一人の人物が近寄ってきます。彼の名は大久保長安といい、徳川幕府で奉行を務めている男です。

 

彼は金山の開発に勤める傍ら、忠輝の執政もこなすという切れ者です。彼は日本の国内が平定されかけている今、南蛮人と紅毛人が水面下で日本の主導権を握ろうと画策している、ということを政宗に告げます。徳川家が紅毛人を支援しているのに対して、伊達家は南蛮人を支持で対外的に均衡を保とうと長安は考えたのです。

 

一方、紅毛方の徳川に対して、南蛮方は旧政権である豊臣を依り代にしようと画策します。まだ戦乱の世は終わっていないと睨んだ政宗。一度消えかかった天下への野心はゆるゆるとまた燃え上がっていたのでした。