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No.13「ソクラテスの弁明」

今回は「伊達政宗」シリーズを一旦お休みして、岸見一郎先生の「ソクラテスの弁明」を紹介したいと思います。

 

岸見先生は大学で講師を勤めている方です。専門の哲学の他に、アドラー心理学を研究しており、著書、「嫌われる勇気」にも岸見先生が執筆に携わっています。

 

さて、本書についてですが、これはソクラテスの弁明を翻訳したものに加え、現代人にも分かりやすいよう解説を交えて説明した、いわば岸見先生による解説書です。翻訳では多少解釈が難しいので解説を足したものだと思われます。

 

ソクラテスの弁明とは、ソクラテスが死刑判決を受けた裁判での、ソクラテスの応答を書いたものです。弟子のプラトンによって書かれたもののため、多少彼の解釈も混じっていると考えられます。ソクラテスは「対話」によって得られる結論を重視していたので、実は彼自身が書いた本はありません。従ってソクラテスを描いた書物は、こういった弟子や友人などに書かれたものしかないのです。

 

さてソクラテスはなんの罪で訴えられたかというと、神を認めず、神に準ずるものに傾倒した罪と自然をあるがままに認めた罪と2つですが、ハッキリいってこれらの罪状はでっち上げです。ソクラテスは嫌われてたから訴えられたのです。

 

何故訴えられたかというと、ソクラテスは過去に自分が一番賢いというお告げを受けたのですが、そんなことはないと考え、各地の知者と呼ばれるような頭のいい人たちに会いに行きます。ところがどいつもこいつも質問攻めをすると答えに息詰まるので、ソクラテスは知者と名乗っている癖にちゃんと答えられない嘘つきばかりだというを知りました。ここで彼は自分は何も知らないということを自覚している分、彼らよりましだから俺が一番の知者なんだというふうに神託を解釈しました。

 

ところがやはり論破される方は面白くありませんから、なんか最な理由をこじつけて裁判にかけたのです。因みにソクラテスは上記の罪に関しても質疑応答を繰り返し、見事に矛盾点を判明させています。

 

裁判中、ソクラテスは決して情に訴えるとか、泣いて同情をひくようなみっともない真似はしませんでした。むしろ、有罪が確定してるにも関わらず、減刑を求めるどころか、最後まで自分は無罪だと言い続けたのです。

 

死刑が決まったあと、ソクラテスはこの裁判に参加することに関して引き止められるような神託は受けていない理由を理解しました。神託はソクラテスにとって良いことをもたらしてくれるものであり、それが裁判の前になかったということは、死でさえもソクラテスにとって良いことだと解釈します。ソクラテスは死を永久の休息、若しくは絶対的な善の世界への入門だと考え、毒杯を呷ったのでした