No.24「探偵ガリレオ」
今回は誰もが知ってる東野圭吾の「探偵ガリレオ」を読みました。ブックオフで100円で売っていたところを鑑みると、時の移ろう様を感じます(哀)。
ガリレオ先生と呼ばれる湯川は大学で科学を専攻とした准教授です。大学で同級生だった草薙という刑事がいるため、湯川は不可思議な事件の相談相手として度々現場に引っ張り出されます。
この小説は章ごとにエピソードが別れており、毎回科学的なトリックを使った事件が発生します。
例えば第一章では被害者の髪が突然燃え出す、という謎が発生しますがこれは目に見えないレーザーによる燃焼が原因です。
また、2章では死体発見のきっかけとして、どう作ったかわからないアルミのデスマスクが発見されますが、実は雷と電線のゴミが織り成す奇跡だとか。
他にも超音波の殺人やナトリウムの爆殺など様々な科学ネタが登場します。ですが、この本の面白いところはあくまで科学の謎に主眼を置いているところであって、事件の犯人は意外とアッサリ見つかるという点です。
私はコナンとかポワロといった、犯人を追い詰めるまでの長ったらしい説明が大嫌いだったので、探偵というタイトルが付いたものは敬遠しがちでした。ですが、今までの推理ものとは全く違った読み応えだったので、食わず嫌いは本当に良くないと痛感させられます。
余談ですが、ドラマは観たことがありません。今度観てみようかなとも思ったのですが、居ないはずの女性の助手が登場するところを考えると、テレビの陰謀が垣間見えます…
やはり小説と映像ではポリコレの壁がありますなぁ!!
番外編「蜂の巣の作り方」
本日は本の紹介を一旦お休みして、興味深かったネタを書こうと思います。
先日子ども科学電話相談を拝聴していたとき、こんな質問を聞きました。
「蜂の巣は何で出来てるんですか?」
専門家の方はアシナガバチを例にあげ、木から噛み砕いた繊維と唾液を混ぜ合わせて作ると回答していました。
実は蜂の巣の材質は紙と同等だそうで、しかも防水だそうです。
私もこれを知ってちょっと調べてみたんですが、そもそも紙を繊維で作るという発想はこの蜂の習性から得たようです。
現在防水の紙といえばタイベック紙が思い当たりますが、あれはガラスが含まれているので実は紙ゴミとして捨てることができません。
しかしもし蜂の唾液を解明して、それを元に人工的な防水紙を作ることができれば、軽くて丈夫で防水のもえるごみとして捨てれる紙を作れるのではないでしょうか。
生憎ネットで調べてみても蜂の駆除といった情報しか出てこないので、私も電話で専門家に相談したいくらいです笑
No.23「オペラ座の怪人」
今回の一冊はガストン・ルルー不朽の名作、「オペラ座の怪人」です。何度も映画化されている不屈の物語ですが、映画や舞台は所々脚色されているということもあり、原作とは少し内容が異なります。昔の西欧文学ならではの私的な表現が盛り沢山だったので、現代文学にはない独特の雰囲気を感じました。
オペラ座には幽霊が出るという噂が立っていました。皆が口々に幽霊の存在を裏付けるような事を話しますが、実際に出会った人は誰もいません。しかしその存在は物語が進むにつれ明らかになっていきます。支配人など一部の人々は確かに幽霊の存在を認めていたのです。
一方、オペラ座の歌姫クリスチーヌは彼女の幼少の旧友ラウル子爵と出会い、ラウルはこの出会いを機に彼女に恋をします。しかし彼女は彼の恋心を拒絶します。なぜなら彼女はオペラ座の幽霊に見初められていたからです。姿形は見えずとも、彼はオペラ座に住まう天の声としてクリスチーヌの歌唱レッスンをし、彼女もラウルへの思いを押し殺しながら、幽霊を受け入れていました。
しかし、幽霊はラウルの恋心を知り、彼女を拉致するという暴挙に出ます。ラウルは彼女を救うためにオペラ座の地下へと乗り込みます。彼は迷宮のような地下道をさ迷い、挙句の果てには幽霊の手によって殺されかけてしまうのですが、クリスチーヌが幽霊に愛を誓ったことによって、幽霊は彼らを解放します。しかし幽霊はクリスチーヌの聖女とも思えるような慈愛の心を知り、彼女とラウルの愛を認め、彼らの前を去ったのでした。
嫉妬に狂った男の狂気の物語であり、真の愛を描いた物語でもあると感じました。当時のオペラ座は表舞台と楽屋裏ではかなりの違いがあったようですから、その社会的な陰陽を風刺しているのかもしれません。久々のラブロマンスなので始めは文体に違和感を覚えましたが、読み進めていくと意外とすんなり入っていくものです。
食わず嫌いは良くないですね。
No.22「「顧客消滅」時代のマーケティング」
今回は小阪裕司さんの著書、「「顧客消滅」時代のマーケティング ファンから始まる「売れるしくみ」の作り方」です。2021年に発行された本で、このコロナ禍で生き残る会社とそうでない会社、ビジネスの新たな形を解説しています。人の潮流が減った今、企業はどのような着眼点で仕事をすべきなのかを本書で振り返ってみましょう。
まず、今の時代、繁盛している企業というのは、「コスパがいい会社」と「自分の価値を商品を通して売っている会社」の2つに分かれます。後者はつまり、自分が本当にオススメしたいサービスやモノを売って、顧客に自分の価値観を提供をするということです。コスパで戦うとなると所謂アマゾンなどの大手と戦うわけですから、ビジネスの主流は後者の「感性に訴える企業」になるということです。
またビジネスには一見客を狙う「フロー型」と、その一見客をリピーターにする「ストック型」のふたつがあります。感性に問いかけるスタイルを目指すのであれば、ストック型が当てはまっていると言えるでしょう。
ある熱狂的なファン、または彼らが作り出す世界観のことを「ファンダム」といいますが、コロナ禍を生き残った企業はこのファンダムに支えられたと言っても過言ではありません。彼らが二次創作やツイッターで宣伝するのと同じように、企業のファンダムは消費以外の面からもその店をサポートします。これが感性に訴える企業の究極的な例でしょう。
故にビジネスの形が変わった今の時代において、顧客をワクワクさせるような商売が今後の主流となる、というのが小阪さんが提唱するワクワク系ビジネスです。もし、変革のアイデアが必要だと言うなら、こういったオンラインサロンを通して交流を図ることも有効だとも仰っています。またこれはB TO Cに限った話ではないので、私も変化のきっかけとして小阪さんの公演に参加したいと思いました。まさに本書を通じて小阪さんのファンダムになってしまったという感じです笑
No.21「伊達政宗 旅情大悟の巻」
家康が死んだ後、いよいよ悟りの境地に達したかに見えた政宗ですが、徳川幕府のぐらつきを目の当たりにして、またも野心を蘇ってしまいます。何故何度も繰り返してしまうのかと思われがちですが、この悟りと煩悩の繰り返しによって政宗は激動の時代を切り抜けたと言っても過言ではありません。
秀忠の時代となり、将軍の良き相談相手となった政宗ですが、その後も徳川幕府の側近は何かと政宗にちょっかいをかけ、伊達家の弱体化を図ります。将軍の信頼をもってしても安定が訪れる事が無かったため、政宗はこのような心境に陥ったのではないでしょうか。
秀忠が死に、なんと3代家光にまで使えることになった政宗。家光の精力溢れる活力に若き自分を重ねつつも、泰平の世を支えるため年の功でのらりくらりと将軍の挑発を躱していきます。徳川幕府を支えて往くために最期の諫言を終え、その人生を終えるのでした。
伊達政宗といえば生まれるのが後20年早ければ天下人になっていたと言われる人物ですが、この小説はそんな政宗の心境を的確に描いているため、非常に感情移入のしやすい本でした。
そろそろ戦国ものも飽きてきたので、次回からジャンルを変えてみようと思います
No.20「伊達政宗 平和戦略の巻」
久々に読みました、「伊達政宗」第7巻です。
スペインの大艦隊が最早存在しないと理解した政宗ですが、甥の松平忠輝の暴走は止まりません。大阪の陣は豊臣方敗北と決まった今、政宗はどのような答えを導き出すのでしょうか?
夏の陣では味方撃ちなどあったものの、政宗はそこそこの手柄を上げました。しかし今回の戦いでは各武将に与える領地が圧倒的に不足しているため、政宗は家康の前であらゆる思案を巡らせます。
しかし家康に伊達家の領地を取り上げる意図がないとわかった今、政宗は一つの境地にたどり着きます。それは、天下とは掴んで取るものではなく、成るべくして与えられるという事です。真に家康を天下人と認め、政宗は徳川幕府の臣下として務める事を心に決めます。
家康の死後、秀忠の元で政宗は外様大名として奔走します。城の改築を理由に福島正則がお取り潰しの対象になったり、甥の忠輝が改易させられたりとまだまだ安堵の日々は訪れません。そんな中確実に副将軍としての地位を固めていく政宗は今では秀忠の良き相談相手です。
果たして伊達家は泰平の世でも無事に生き残っていくことができるのか。次回で最終巻です。
No.19「帰ってきたヒトラー 下」
前回に引き続き「帰ってきたヒトラー」のレビューをしたいと思います。今回は下巻です。
前回私はヒトラーがドイツを再びナチズムに陥れるのではないかという予想をしましたが、話の終着点は全くといっていいほど穏やかでした。
過激な演説をしたヒトラーはビルトという大衆紙から強烈な批判を受けます。にも関わらず毅然として立ち向かうヒトラーの姿勢はついに相手を屈服させ、その人気はますますうなぎ登りです。遂には政治家との対談を実現させるほどの文化人になりますが、ヒトラーの過激な思想に反感を持った人たちが彼を襲います。病院で目覚めたヒトラーは見舞いに来た付き人と他愛のない会話をしたところでこの物語は幕を閉じます。
あとがきを読んでみるとこの本の印象は大きく変わります。ヒトラーを怪物として描くのではなく、彼が何故ドイツの総裁であったかという人間的な魅力に焦点に当てて、作者はこの小説を書いたそうです。なので勧善懲悪ものとして描かれた今までのヒトラーとは一線を画すがゆえに、これほどまでの人気を得たのではないでしょうか?ただ悪を悪として説明するのではなく、彼が大衆の支持を得た理由を模索することに、ナチズムを理解するヒントがあると作者は考えているようです。私は注釈を合間合間に読んでいたので作品の雰囲気をイマイチ掴みきれませんでした。もっとドイツを知るために、今度はわが闘争を読んでみようと思います。